家族や親戚が集まり、ご仏前を賑やかに飾って迎えるお盆。お盆には「迎え火、送り火、精霊流し」のように、静かで、淋しい、悲しいといった感覚と共に「お盆休み、帰省、盆踊り」などのなんとなく待ち遠しい、うれしい、といった相反するイメージがあります。「盆と正月が一緒にきたような」などというふうに、すごくめでたい時の表現に使われたりもします。いずれにしてもお盆はながく日本の夏の情緒ある行事として親しまれてきました。
しかし、お盆を迎えるにあたり、どうしたらいいか戸惑われる方が多いと思います。とくに初めてのお盆(初盆、新盆)をお迎えするとなるとなおさらです。なにかマニュアル的なものがあればいいんですが、お盆の迎え方は地域によって様々で、正しいやり方というものがありません。当店のある静岡市の場合でも、同じ市内であっても地域あるいは各家によってまちまちです。これは、習俗としてのかかわりが大きいお盆ならではの特徴であり、また興味深い部分でもあります。
ここでは、「静岡市周辺の一例」という事でお盆の迎え方をご紹介いたします。参考にしていただけたら幸いです。
お盆の迎え方
お盆は今や日本の代表的な国民行事となっています。かつてはお正月とともに、一年を二分する季節の折り目に営まれてきた、先祖の魂祭りをもとに展開された仏教行事です。
お盆は、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、「仏説孟蘭盆経」という経典に基づいて営まれるようになったものと言われています。「日本書紀」には、推古天皇14年(606年)に「釈迦誕生日の4月8日と、7月15日に斉会を設けて供養する勅命が下った」とあり、たいへん古くから行われていた仏教行事であったことが分かります。
釈迦の十大弟子に神通第一とされる目連という人がいました。その目連が釈迦の力も借りながら神通力で亡き母のすがたを探したところ、母は生前の行いが悪かったことで餓鬼道におち、やせ衰えて地獄のような苦しみを強いられていました。
目連は釈迦に母を助ける方法はないか相談します。釈迦は「いま僧たちは、安居(雨季)の修行に入っている。その最後の月の十五日(七月十五日)にご馳走を供えて、僧たちに施し供養しなさい。そうすれば母は餓鬼の苦しみを離れ、人間界に生まれ変わることが出来るでしょう」と答えました。目連はその通りにして母は救われ、母と子が相まみえることができた。というふうに仏説盂蘭盆経に説かれています。
盂蘭盆は凡語の「ウランバナ」の音を写したもので、元々の意味は倒懸(逆さに吊るされる)に由来するという説や、古代イランにおいて霊魂の意味をあらわす「ウルヴァン」が語源であるという説などがあります。そしてまた「お盆」には、文字どおり「tray」として「供え物を乗せる容器」あるいは「供え物そのもの」という意味もあります。
我が国では、おそらく古くから各家ごとに、お正月とともに一年を二分するかたちで先祖の魂祀りが行われていて、お正月は神道的な行事に、お盆は仏教行事としての盂蘭盆会と習合していまの形になったといわれています。
仏教が中国や朝鮮半島を経由して日本に入り、それぞれの土着の民族的な信仰と複雑に習合しながら、地域性豊かないわゆる「お盆」の行事になりました。
お施餓鬼(おせがき)について
寺院でよくお盆の時期に行われる施餓鬼会(せがきえ)は「仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつくばつえんくがきだらにきょう」という経典に依っています。その経典には以下のようなことが説かれています。
釈迦の十大弟子である阿難が一人静かに瞑想をしているとき、焔口という名の餓鬼が現れます。その姿は醜く、痩せて口からは火を吐き頭髪は乱れ、とても恐ろしい様相でした。餓鬼は阿難に「これより三日のちに、お前の命は尽きて私のような醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」と言います。阿難は餓鬼に、どうしたらその苦難を免れることができるか尋ねます。
「お前が明日中に餓鬼道におちた多くの衆生らに食べ物を施し、仏法僧の三宝を供養すればお前の寿命は延びて、我も餓鬼の苦から抜け出ることができる」と答えます。阿難は釈迦に助けを求めながら餓鬼にいわれた布施行を実践し、餓鬼道に落ちることなく救われました。
お施餓鬼は地域や宗派によって違いがありますが、本堂の入口にご本尊の方を向けて施餓鬼棚を組み、「三界萬霊十方至聖」と書かれた位牌を安置し、三界の萬霊、餓鬼道に落ちて苦しむすべての衆生を救済するというご供養を行います。同時に檀家さんの先祖供養も行われます。本来、施餓鬼会には特別にきまった期日はありませんが、お盆の時期に行う寺院が多く、お施餓鬼といえばお盆の先祖供養の行事と思う方がほとんどだと思います。たしかに鎌倉時代くらいにはすでに餓鬼の救済から先祖供養へとウェイトが移っていたようです。
というわけで、お盆とお施餓鬼は別の由来に依りますが、餓鬼の救済という共通した理念があります。静岡市周辺にはお盆に精霊棚を飾って、ご馳走をお供えするときに精霊棚の脇に無縁仏(むえんぼとけ)さん、餓鬼仏(がきぼとけ)さんへのご馳走を供える習慣があります。自分の家のご先祖さまのご供養だけでなく、浮かばれないすべての精霊をご供養するという「お施餓鬼」を同時に行っているということになります。
7月1日:「地獄の釜が開く」とされる日で、盆の開始日
初盆(新盆、初めて迎える盆)のお宅では、早めにお参りになる方もあるので、
7月(月遅れは8月)に入ってすぐに、灯篭・お盆提灯などを飾ります。
7月7日:「お墓掃除」
12日までには済ませておきましょう。
7月12日:「精霊棚(しょうりょうだな)作り」
仏壇の前や、床の間などに作られる盆棚。
小机の上にマコモやスノコなどを敷いて、位牌を仏壇から出してその上に配置し、その周りにお供えなどを置きます。
7月13日:「迎え盆」
お墓参りをして盆提灯に火を点し、家の外では迎え火を焚いて精霊(先祖の霊)をお迎えする。
7月16日:「送り盆」
夕方には送り火を焚き、精霊を送り出します。 15日の夕方や16日の朝などに焚く場合もあるようです。
精霊流し・灯篭流しなどを行う地域もあります。
16日の朝、お盆飾りを公園に持ちより送ります。
お参りするための祭壇が設けられています。(静岡市内一例)
〈お仏壇の飾り方〉
〈祭壇の飾り方〉
〈お盆飾り各部詳細〉
仏壇の前や床の間、縁側などに精霊棚(盆棚)を作ります。 静岡市周辺では割とシンプルに小机などを用いたり、お仏壇の膳引き(お仏壇から引き出して使う棚)を精霊棚として用いる場合も多いようです。 (初盆のお宅では、葬儀の時に使用した三段の祭壇を使う場合もあります。) お盆の象徴的な飾りとして盆提灯や行灯をお供えし、経木のお膳でごちそうをお供えしたり、 三段盛(さんだんもり)という供物台などもよく用いられます。
精霊棚の上 にスノコ(竹や葦で編んだむしろ)や マコモ(イネ科の大型多年草の葉)を敷きます。 四方に青竹を立て、上に縄を張り巡らします。 この竹と縄は結界を表すといいます。 張った縄にはソーメン、昆布、ホオズキなどを吊るしたりします。 写真のようにお仏壇の前で飾る場合は四方に竹を立てず、 お仏壇の上に竹を渡すだけのことが多いようです。写真ではホオズキ、枝豆、栗の葉をまとめて吊しています。
経木のお膳でごちそうをお供えします。器にはカワラ器(白皿やスヤキ皿)が用いられます。写真は三つのお膳をお供えしてありますが、数はお宅によってまちまちで特に決まりはありません。
お箸には「おがら」を用い、仏さまの方に向けてお供えします。
無縁仏(むえんさん)、餓鬼仏(がきぼとけさん)の為に、 精霊棚の脇にもごちそうをお供えする習慣があります。
積み団子
静岡県の中部地方では、左の『三段盛』という仏具が広く使われています。
上:積み団子、中:お菓子、下:果物、の順にお供えすることが多いようです。
置く向きは三本足の一本を手前に向ける置き方が正式のようですが、この辺り(静岡市近辺)では、写真のように二本を手前に向ける置き方も多くみられます。またその場合、お団子は三角形の頂点を手前にします。お団子は近所の和菓子屋さんに頼んで蒸かしてもらうか、最近は落雁(らくがん)などで出来たものやローソクで模したものもあります。(13日朝~)
お位牌
精霊棚に安置しますが、お仏壇の膳引き(お仏壇から引き出して使う棚)を精霊棚として使う場合は、お仏壇内部の中段にお位牌を安置するのが良いでしょう。(写真)
お位牌を置く場所はお寺さんによって考えが異なることがあります。また地域によっては、ご本尊まで別の場所にしつらえた精霊棚に安置し、お仏壇の扉を閉めてしまう場合もあります。
盆提灯
精霊棚の横には盆提灯を飾ります。静岡市周辺では両側に大内行灯(おおうちあんどん)を置き、窓に近い所に吊り下げる提灯を一個飾るのが 一般的です。写真は吊り提灯(岐阜提灯の代表的な形です)
●大内行灯 本体木製 11,000円より
●吊り提灯 〃 4,400円より
大内行灯は1万円台~5万円台、吊り提灯は1万円台から3万円台くらいのお品を良くお願いしております。【当店参考】
浄土真宗系の宗派は教義的に精霊棚、盆提灯を飾ったりすることや、迎え火、送り火などを行う習慣もありません。但し、お盆の象徴的な飾りとして、切籠灯籠(きりことうろう)を飾る場合があります。(地域によって習俗的に行灯や吊り提灯などを飾ることもあります。)